「アンパンマンの遺書」

最近アプリの開発に追われて、ブログが更新できていなかったので、
この間読み終わった「アンパンマンの遺書」について書いてみる。
この本は、アンパンマンの作者、やなせたかし氏の自伝である。



この本は実に面白い本だった。今は絶版になっているのが非常に惜しい。
昭和のスターや有名人はたくさん出てくるし、その逸話も面白い。
戦争については、(戦争中は何回か戦闘にあったものの)敗戦時に前線の四渓鎮(調べても出てこないので泗渓鎮かもしれない)に
いたにも関わらず、敗戦後は食料が余ってたらふく食って、現地の人とも友好的だったという話とか、
結構意外な話も載っている。


まぁ、もう絶版の本なので改めて買う人もあまりいないと思ので
Amazonなら中古で定価の何倍もの値段で買えるけどw)、
この本の中から大事だなということについて記載しておく。

他人に認められても自分を認めるな。

この本のなかで、やなせたかし氏はずいぶんと長い間、「日陰の時代」を過ごしていると書いている。
実際に一筋の光が差し始めたのも、1973年ぐらいからと書かれている。計算すると54歳頃になる。


しかし何がすごいかと言うと、この「日陰の時代」にも、一般人からするととんでもない
活躍をしていることだ。三越を退社後(筆記体の mitsukosi の文字は、やなせたかし氏の書いた文字らしい)、
テレビの司会者やミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の舞台装置、
テレビドラマ・テレビ映画・ラジオドラマの脚本、そして手塚治虫の「千夜一夜物語」の
キャラクター・デザインまで多岐に及ぶ。また、本の中で出てくる人物(当然、一緒に仕事をする人物として)も、
手塚治虫を初めとして、永六輔宮城まり子向田邦子いずみたく等、
私でも知っているような名前がずらりと並ぶ。


ここですごいと思ったのは、これだけ、いやこれ以上の仕事をしておきながら、
氏は「自分の仕事ではない」と満足しなかったことだ。
普通の人間ならばどこかで有頂天になって「これが天職かもしれない」と思い、
道を曲げてしまうはずだ。しかし、彼は自分がこれだと認めない仕事には
興味を示さなかった。どんなにいい仕事をしても、自分で認めなければ
それを認めなかった。


それが固い信念なのか、我が侭だったのか、それとも本人の勘違いだったのか、
兎に角氏はアンパンマンに出会うまで、自分を認めることをがまんした。
54歳になっても。私も今、自分の方向性について悩んでいるが、
この自分との対話から逃げない姿勢は、ぜひ見習いたい。

いつまでも諦めるな


そして御存知の通り、話はアンパンマンの話になる。実は同じ時期、
奥様のガンによる闘病生活、逝去とつらい時期を過ごされているのだが、
それでも彼は精力的に働き続けた。最近もテレビで元気な姿で
いらっしゃるところをお見かけした。


結局のところ、彼は第一線で働くことを諦めていない。
「これかの人生はおまけのようなもの」と思いつつも、
何も諦めていない。もうお年は90歳を超えていると思われるが、
それでも諦めていないのだ。


私も最近、この年で自分の進路に迷うことがあり、不安になることがある。
しかしそういう時は「いくつだから遅い、とかではなくて、死ぬまで何が
できるか」を考えるようにしている。
そうすれば、死ぬまであとどのくらいあるだろうか、という事になるが、
そんなものは分からないのだ。もし私が今から新しいことを始めて、
10歳若い人たちと勝負をしなければならないとしても、
相手が先に死ぬか(仕事をやめるか)、こちらが先に死ぬか、
そんなことは分からない。分からないことを考えてもしょうがない、
それよりもやれる事をやった方がいい、と思えてくるようになる。


氏の人生はまさにそれを体現している。
確かに遅咲きかもしれない。しかし咲いた後の活躍は御存知の通り
すばらしいし、それももう何十年にもなる。
人生はどうなるか分からない、分からないから、いつでも、
今でも、それはチャンスなのだ。