「パブリックとプライベート」の時代から「プライベートとプライバシー」の時代へ

最近、インストーラーの作成に時間を割いていて、
中々ブログが書けないので、ちょっと小ネタで補充。


最近 Twitter をやっていると、「プライベート」というものを
公開する抵抗がだいぶ減ってきたのではないかと思う。
これは別に Twitter を引き合いに出さなくても、IRC などでは
ずいぶん前から行われていたことであるが
(そしてそれが私の場合は若気の至りということになってしまったが)、
こういった感覚はネットの極一部の人間にしかなかったのかもしれない。

そうでなければ、匿名で 2ch が流行る様なことはなかったと思うし、
また、mixi のような、SNS のクローズドな世界というのも不要であっただろう。

どのような流れで変遷していったか。


日本のインターネットの黎明期(と言っても、私が知っている以降の話になるが)
このような区別は必要なかった。
ネットワークでつながっている人と言っても、ほとんど内輪か、
あるいは「インターネットを使っている」という仲間意識でみんな使っていた時期だ。
news や ML、IRC などといったツールによって作られたコミュニティは、
プライベートだから公式だからとか、そんな事を考える必要は、とりあえずなかった。


その後、Webが広まるにつれて、いわゆる「一般人」がインターネットを使い出す
時代に入る。この時代から様々なトラブルが発生し、それは今でも尾を引いている。
しかしまだ、個人のページは平然と作られていたし、そこにオフ会等の
個人の写真を載せることに抵抗は少なかった。
ただし、このあたりから世間で様々な事件や問題が起こるにつれ、
「プライベートに関するものは公開を控えよう」という考えが出てくるようになった。


その後、インパクトが大きかったのは 2ch の出現だろう。
2ch の出現により、「匿名」を手に入れたユーザーはあくまで自分が特定されない
という条件で「プライバシー」を書き込むことができるようになった。
私等は 2ch のユーザーではなかったのでその時の詳細は分からないが、
いきなり「プライバシー」がネットの中に流れ込んできた時代だった。
流した上で「誰のプライバシーなのかわからない」という条件で、
逆にプライバシーを守った。


その後のブログの出現は、あまりこういったものに影響を与えなかった。
この頃には個人情報保護法などもできて「プライバシーを守る」という意識が確立し、
ブログにもプライバシーを載せることはなかっただろう。
逆に、芸能人などでプライバシーをちょこっと覗かせることによる
ファンサービスのような動きは見られたが、これは極一部の人間にしか当てはまらないだろう。


そして、mixi をはじめとする SNS の時代が来る。
「閉じたコミュニティ」という概念が生まれ、この中で
「プライベート」や「プライバシー」を(たぶん最初は不用意、または不注意で)
公開する人が出てくる。そのプライベートやプライバシーは
「閉じたコミュニティ」という概念で守られている。
ただし mixi もユーザー数が拡大するにつれ、そのままでは「閉じたコミュニティ」
という概念が維持できなくなり、公開制限等の機能追加を余儀なくされた。


その後、TwitterFaceBookにより、個人の発言が直で世界中に流れるという
事態が発生した。これにより、「プライベート」はそのまま全世界に
発信される自体となってしまった。もちろん、インターネットの仕組み上は
以前から全世界に発信はできたが、今までは言語や文化により
その制限を受けていた。なぜその箍が外れたのかは分からないが、
そのような時代がもう目の前に迫っている。

プライバシーを守り、プライベートを公開する


今回は何の調査や論拠もない文章を書いてしまったので、信憑性に関しては
甚だ申し訳ない限りだが、おおよそは上記のような流れでインターネットの
コミュニケーションは発展していったのではないだろうか。
また、説明しやすい(というか自分が考えやすい)ことを優先させた為、
順序に関しても若干ずれているかもしれないが、御容赦いただきたい。


さて、本題に戻って、このようにこれからは「プライベートを公開する」のが
当たり前の時代になってくるのではないかと考えている。
その上で本当に守らなければならない「プライバシーは何か」ということを
真剣に考え、それを守る環境を法整備も含めて作っていかなければならないのでは
ないだろうか。


勿論、Google Mapsストリートビューが問題になるように、プライベートと
プライバシーの垣根の問題はまだ残るだろう。しかし、プライベートが公開される
という流れは、もう戻れなくなってしまったのではないだろうか。


私は見たことはないのだが、Twitter の TL を追っていると、
ツイッタードラマに対してかなりネガティブな意味で盛り上がっている。
理由はいろいろとあるだろうが、一つは「こういったネットワーカーの
苦労に対する配慮のなさ」があるのではないかと思う。


私達は(と大上段に構えていいものなのか迷うが)今まで、
このような様々な苦労を乗り越えて(そして楽しんで)現在の
日本のインターネットの状況を作り上げてきた。
それを横から知らない人が、その駆け引きの難しさや、
微妙なボーダーラインを自分達で決めていく努力を踏みにじり、
「しょせんこんなもの」みたいな感じで広く大衆に公表すれば、
それは腹も立つだろう。


しかし時代はそんなことにお構いなしに次へ次へと進む。
もはや「プライベート」は消極的な人はじわりじわりと漏れ出て、
積極的な人は外に向かって放たれるのが当たり前かと言わんばかりに
開放されている。
ここはあえてその流れに抗うのではなく、「それでも守らなければ
ならないプライバシーは何か?」ということを考えて見た方がいいのでは
なかろうか。