殺人罪の時効廃止についての反論

最近、twitterでは非実在青少年の話題で持ちきりであり、
巷では政権公約の実現だの離党だので騒がしいが、
ここはあえて空気を読まずに少し前の話題を振ってみる。


殺人罪を初めとするさまざまな時効の延長については、
私も基本的には賛成である。今までの短い時効によって、
無念の思いをした御遺族の心中は、私のようなものでは
察することもできない。


ただし、今回の殺人罪の時効を「廃止」にすることに関しては、
もう少しみんなで冷静に考えた方がいいと考えている。


今までなぜ時効があったのか?おそらく法律の専門家に聞けば
まことしやかな答えが返ってくるのだろうが、
残念ながら私は素人なのでその起源などは知らない。
しかし直感的には実は下記のようなことが理由ではないかと考えている。

  • 科学的な限界により、立証が難しくなったり、記憶が曖昧になり証人の証言の信憑性が薄れたりする。
  • 犯人の寿命により、死亡している可能性が高くなる。


前者は、科学技術の発展により、確かに時効を延長する理由になり得ることだろう。
(証言の信憑性なんてものは、そもそも時間経過に関係なくあやしい部分があるが。)
今回問題にしたいのは後者の方である。

無期限の「期限」


今回の「時効廃止」というのは、文字通りに取れば殺人罪は捕まるまで無期限ということになる。
では、その無期限とはいつまでのことであろうか。


なにをまた馬鹿馬鹿しい問い掛けを、とお思いになるかもしれないが、私が気にしているのは
そこである。例えば、時効が50年くらいであれば私もイメージがつく。
100年ぐらいであっても、まぁいいだろうと思う。では、時効が1000年だとどうだろうか?
1000年後に生きている可能性がほとんどない容疑者を捜査本部は必死こいて探しているのだろうか。
それとも死んでいてもいいから、容疑者の墓を片っ端から墓荒らししているのだろうか。
そもそも1000年の時効なんて馬鹿馬鹿しくてあり得ない。
では1000年は馬鹿馬鹿しくて無期限ならあり得るのか?1000年より無期限の方が短い?


そういえば、刑務所に入っているのはおおよそ個人なので、このような問題が起こるのかもしれない。
法人を刑事罰で訴えて、法人に懲役を科すのであれば、1000年の時効でも無期限でもいいのかもしれない。
しかし、刑務所に入れられている法人というのは、考えただけでもユニークである。
そこまで行かなくても、延命技術が進めば人間の寿命が1000年を超えるかもしれない。
そうなれば時効1000年くらいは信じてやってもいいが、残念ながらそんな時代はまだ来ていない。


まぁ、茶化すのはこれくらいにして、上記のような考えからどうしても離れられず、
時効廃止というものには首を傾げざるを得ない。
繰り返しになるが、時効の延長については時代的にもそうするべきだと思っている。
しかし、国が借金で苦しみ事業仕分け等をしてなんとか切り詰めなければならない時に、
また「未来への負担」となる法案を通していいものか、甚だ疑問である。